企業の知識があらゆるツールに散らばっている。Slackのスレッド、Google Driveのドキュメント、Confluenceのページ、Jiraのチケット、Salesforceの商談メモ。一つの質問に答えるために複数のツールを横断する日常が、世界中のオフィスで繰り返されている。検索エンジンが世界中のウェブを索引化した一方で、企業内部の知識を横断的に検索する仕組みは長らく存在しなかった。Glean社は、この空白に挑むエンタープライズ検索スタートアップだ。
社内情報が見つからない問題

McKinseyの調査によれば、ナレッジワーカーは勤務時間の約20%を社内情報の検索に費やしている。週40時間のうち8時間が、本来すでに存在する情報を「見つける」という行為に消えている計算だ。これは個人の問題ではなく、組織全体に埋め込まれた構造的な非効率だ。
Googleは世界中のウェブを検索可能にした。しかし、企業内部の知識を横断的に検索する「社内のGoogle」は、長らく実現されてこなかった。Gleanは、この巨大な空白に挑むスタートアップだ。
元Google検索エンジニアの挑戦
Gleanの創業者アービンド・ジェインは、インド工科大学(IIT)デリー校でコンピュータサイエンスを学び、ワシントン大学で修士号を取得した後、2003年末にGoogleへ入社した。当時のGoogleはまだ非公開企業で、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンが多くの採用面接を自ら担当していた時代だ。ジェインはその面接を経て、1,000番台の社員としてGoogleに加わった。
以後11年間、ジェインはGoogleで技術職最高位の称号である「Distinguished Engineer(ディスティングイッシュド・エンジニア)」として、検索ランキングアルゴリズムの開発、Google Maps、YouTubeのチームを率いた。特筆すべきはMapMakerプロジェクトだ。ユーザーの投稿を活用して地図情報を世界中で整備するこのプロジェクトで、ジェインはGoogle Indiaの立ち上げに携わりながら、インドを含む190カ国のマッピングを主導した。世界最高の検索エンジンを内側から設計した11年間が、そのままGleanの技術的基盤になっている。
2014年、ジェインはGoogleを離れ、ビプル・シンハ、ソーハム・マズムダール、アービンド・ニスラカシャップとともにデータセキュリティ企業Rubrikを共同創業した。ジェインは同社のVP Engineeringとしてプロダクト開発全体を統括し、Rubrikは創業から約2年でユニコーン評価額(企業価値10億ドル以上)を達成、シリコンバレーで最も急成長するソフトウェア企業の一つとなった。
しかし成長は新たな問題を生み出した。2018年ごろ、Rubrikの社員数が1,000人規模に達したとき、組織全体に異変が起きていた。エンジニアが1日に書くコード量が300行から50行近くまで落ち込み、生産性が急激に低下していたのだ。原因は技術力の問題ではなく、情報の分断にあった。Slack、Google Drive、Confluence、Jiraなど300を超えるクラウドアプリに情報が散らばり、社内の情報を探すよりもインターネットで調べる方が早い、という逆転現象が起きていた。ジェインは社員から寄せられたフィードバックメモを読みながら、こう確信した。「データは失敗の原因であってはならない。成功の源であるべきだ」。世界最高水準の検索エンジンを自ら設計してきた人間が、この問題を解かない理由はなかった。
2019年、ジェインはかつてGoogleで検索プロダクトを共に手がけたトニー・ジェンティルコア(Google検索・Chromeチームで10年)とピユーシュ・プラハルカ(Google Maps・検索品質チームで12年)、Facebookでインフラ開発を担ったT.R. ビシュワナートを誘い、Gleanを立ち上げた。
Googleのエンタープライズ検索は、Google Workspaceの付加機能に過ぎなかった。しかし、企業の情報はGoogle Workspaceだけに存在するわけではない。Slack、Confluence、Notion、Salesforce、GitHubと無数のSaaSに分散している。すべてを横断する検索には、独立したプロダクトが必要だった。
AIが企業の知識グラフを構築する
Today, I’m excited to share that @Glean has raised over $260M in new funding at a $4.6B valuation co-led by Altimeter and DST Global, as well as launched exciting new product capabilities that together will enable Glean’s Work AI platform to expand its reach and deliver everyday… pic.twitter.com/kMy2U0QZkK
— Arvind Jain (@jainarvind) 2024年9月10日
“本日、Gleanが評価額46億ドルで2億6,000万ドル超を新たに調達したことを発表する。アルティメーターとDSTグローバルが共同主導した。あわせて新しい製品機能も公開し、GleanのWork AIプラットフォームは対象範囲を広げ、日々の仕事に価値を届けられるようになる。”
共同創業者兼CEOアービンド・ジェイン(@jainarvind)2024年9月の投稿より(日本語訳)
Gleanのコア技術は、単なる全文検索ではない。企業内のあらゆるデータソースを接続し、人・ドキュメント・会話・プロジェクトの関係性を理解する「ナレッジグラフ」を自動構築する。検索結果は単なるキーワードマッチではなく、文脈と関連性に基づいたものになる。
たとえば「先月のARRはいくら?」と検索した場合、一般的な検索エンジンは「ARR」という文字列を含むドキュメントを一覧表示する。Gleanは異なる。財務チームが最新の月次レポートとしてGoogle Sheetsに記録したデータ、CFOがSlackで共有したサマリー、取締役会向けのプレゼンテーション、これらを関連性順に表示し、さらにAIが直接回答を生成する。
検索結果は、ユーザーごとにパーソナライズされる。営業担当が検索すれば商談関連のドキュメントが優先され、エンジニアが同じクエリで検索すればテクニカルドキュメントが上位に来る。組織内での役割、所属チーム、過去にどのドキュメントを閲覧したか、すべてがランキングに反映される。
46億ドルから72億ドルへ、評価額の軌跡
I’m excited to share that today @glean raised $150M in Series F funding at a $7.2B valuation — accelerating our mission to transform how enterprises unlock their collective knowledge through AI.@Glean was founded with a bold vision: to empower every employee with AI solutions… pic.twitter.com/kt8cddtEz3
— Arvind Jain (@jainarvind) 2025年6月10日
“本日、Gleanがシリーズfで1億5,000万ドルを、評価額72億ドルで調達したことを発表できてうれしい。AIによって企業の集合知を解き放つ、我々の使命が加速する。Gleanは大胆な構想のもとに生まれた。すべての従業員に、AIの力を届けるという構想だ。”
共同創業者兼CEOアービンド・ジェイン(@jainarvind)2025年6月の投稿より(日本語訳)
2024年9月のSeries Eラウンドでは2億6,000万ドル(約403億円)を調達し、評価額は46億ドル(約7,130億円)に達した。このラウンドをリードしたのはAltimeterとDST Globalで、Sequoia Capital、Kleiner Perkins、Lightspeed Venture Partnersといった既存投資家も名を連ねた。その後、2025年6月にはSeries Fで1億5,000万ドル(約232億5,000万円)を追加調達し、評価額は72億ドル(約1兆1,160億円)に跳ね上がった。1年足らずで評価額が2,600億円以上増加した計算だ。
ARRの成長も急速だ。2025年1月期に1億ドルを突破し、同年12月には2億ドルに倍増。2026年5月には3億ドルを超えた。15カ月で3倍を達成したことになる。顧客リストにはDatabricks、Grammarly、Duolingo、Instacart、Tripadvisorに加え、Booking.com、eBay、Intuit、LinkedIn、Samsung、Zillow等が並ぶ。テック企業にとどまらず、製造業・金融・ヘルスケアといった業種にも浸透が進んでいる点が、エンタープライズAIプラットフォームとしての厚みを示している。
セキュリティとプライバシーの設計思想
エンタープライズ検索において、最も重要な技術的課題はセキュリティだ。社内のあらゆる情報にアクセスできるツールは、同時にあらゆる情報が漏洩するリスクを抱える。Gleanは、この課題を「設計思想」のレベルで解決している。
Gleanの検索結果は、既存のアクセス権限を厳密に反映する。Google DriveやConfluenceで閲覧権限がないドキュメントは、Gleanの検索結果にも表示されない。各SaaSプラットフォームの権限設定をリアルタイムで同期し、ユーザーが本来アクセスできる情報のみを返す。
- 1既存権限の完全反映各SaaSの権限設定をリアルタイムで同期。閲覧権限のないドキュメントは検索結果に一切表示されない。
- 2SOC 2 Type II / HIPAA準拠最高水準のセキュリティ認証を取得。金融機関やヘルスケア企業の厳格な要件にも対応。
- 3顧客環境内でのデータ処理顧客のデータは顧客の環境から外に出ない設計。データの所在地に関する規制にも適合。
- 4エンドツーエンド暗号化転送中・保存中のデータはすべて暗号化。管理者向けの監査ログも完備。
この設計思想は、エンタープライズ市場での採用を加速させる要因になっている。CISOが承認しやすいプロダクトであることが、大企業への導入スピードを早めている。
日本企業にとっての「情報の壁」

Gleanが解こうとしている問題は、日本企業にとってよりいっそう深刻かもしれない。日本のホワイトカラーの労働生産性は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で長年下位に位置し、その主因として業務プロセスの複雑さと情報の分断が繰り返し指摘されてきた。国内のナレッジマネジメント支援サービスを手がけるany株式会社が従業員300人以上の企業に勤める1,000人を対象に行った調査(「ナレッジマネジメント白書2025」)では、DXの取り組みが進む一方で「明確な成果を感じている」と答えた回答者は限られており、導入したツールが縦割り組織の壁を越えられずに情報サイロを増やしているにすぎない実態が浮かんでいる。kintone(サイボウズが提供する業務アプリ構築ツール)やChatwork(国内で広く使われるビジネスチャット)、Garoon(サイボウズの社内ポータル)など日本固有のSaaSが混在する環境は、英語圏ツールだけを前提に設計された海外製ソリューションでは十分にカバーされない。2019年に社員1,000人規模のRubrikで確認された「情報分断による生産性の急落」は、同規模以上の日本企業の多くが今まさに直面している構造と重なる。
日本のスタートアップが学べること
- 1日本企業こそ「社内検索」の課題が深刻日本企業はSaaS導入が進む一方、情報が各ツールに分断されたまま放置されるケースが多い。kintone、Chatwork、Box、Garoonなど日本固有のツール群を横断検索するソリューションには大きな市場機会がある。
- 2エンタープライズAIでは「信頼」が最大の競争力Gleanがセキュリティと権限管理を最優先にした設計判断は、日本市場では特に重要だ。日本企業の意思決定者は、技術の先進性よりもデータの安全性を重視する傾向がある。信頼を先に獲得したプレイヤーが市場を制する。
- 3「検索」を超えた「AI知識アシスタント」へGleanは検索からスタートし、AIアシスタントへと進化している。質問に対して直接回答を生成し、関連するアクションを提案する。日本のスタートアップも、単機能ツールではなく「業務知識のインテリジェンスレイヤー」を目指すことが選択肢になる。
起業家への示唆
We’ve been building @Glean with this in mind. The model layer will keep moving quickly, but in the enterprise, much of the value will come from the applied layer that has the right context and can route work across models based on the task, cost, latency, and quality required.… https://t.co/ijzl8UY06J
— Arvind Jain (@jainarvind) 2026年7月6日
“我々はまさにこれを念頭にGleanを作ってきた。モデルの層はこれからも速く動き続ける。しかし企業においては、価値の多くが応用の層から生まれる。正しい文脈を持ち、作業の内容やコスト、遅延、求められる品質に応じて、複数のモデルへ仕事を振り分けられる層だ。”
共同創業者兼CEOアービンド・ジェイン(@jainarvind)2026年7月の投稿より(日本語訳)
- 1「自分が一番よく知る課題」に賭けるジェインが検索の問題に着目できたのは、Googleで検索アルゴリズムを設計した11年間があったからだ。世界最高水準の専門性と、自社組織での原体験が重なったとき、課題は最も鮮明に見える。起業のテーマは、自分が「最もよく知っている問題」の近くに置くほど、解像度が上がる。
- 2前の会社の失敗こそがプロダクトの設計図になるGleanの仕様は、Rubrikで実際に経験した課題から逆算されている。社員からのフィードバックメモ、エンジニアの生産性データ、300を超えるアプリへの分散、これらすべてがプロダクトの要件定義書だった。次のスタートアップのアイデアは、前の職場の「解決されなかった問題」のなかにあることが多い。
- 3チームは「同じ問題を知っている人間」で固めるジェインは検索・マップ・インフラの第一線にいた元Googleエンジニア3人を共同創業者に迎えた。単なる「優秀なエンジニア」ではなく、解くべき問題の構造を骨の髄まで知っている人間を集めた。スタートアップのチーム形成で重要なのは、スキルセットの補完よりも「課題への解像度」を共有できるかどうかだ。
企業の知識は、最も活用されていない資産だ。社員の頭の中、過去のメールスレッド、更新されないWikiページ、これらを「検索可能」にするだけで、組織の生産性は大きく向上する。Gleanはそのビジョンを72億ドルの事業に変えた。日本にも、同じ規模の機会が眠っている。
参考文献
- 「Glean Raises $150M Series F at $7.2B Valuation」(Glean Press、2025年6月10日公開、https://www.glean.com/press/glean-raises-150m-series-f-at-7-2b-valuation-to-accelerate-enterprise-ai-agent-innovation-globally)
- 「Glean Announces Over $260 Million Series E」(Glean Press、2024年9月10日公開、https://www.glean.com/press/glean-announces-over-260-million-series-e-and-next-generation-prompting-as-it-brings-work-ai-to-the-enterprise)
- 「Glean Surpasses $200M in ARR for Enterprise AI」(Business Wire、2025年12月8日公開、https://www.businesswire.com/news/home/20251208127913/en/Glean-Surpasses-200M-in-ARR-for-Enterprise-AI-Doubling-Revenue-in-Nine-Months)
- 「Glean’s top line crosses $300M」(TechCrunch、2026年5月28日公開、https://techcrunch.com/2026/05/28/gleans-top-line-crosses-300m-as-ai-budget-cutting-becomes-its-major-selling-point/)
- 「Arvind Jain, Founder and CEO, Glean」(CXOTalk、https://www.cxotalk.com/bio/arvind-jain-founder-and-ceo-glean)
- 「Arvind Jain Pushes into AI-powered Productivity」(Sequoia Capital、https://sequoiacap.com/article/arvind-jain-glean-spotlight/)
- 「Report: Glean Business Breakdown & Founding Story」(Contrary Research、https://research.contrary.com/company/glean)
- 「ナレッジマネジメント白書2025」(any株式会社、https://qast.jp/knowledge-report/)
- 「McKinsey Global Institute: The social economy」(McKinsey & Company、2012年7月公開)
※本文中の円換算は1ドル=155円で計算した参考値です。為替レートにより実際の金額は変動します。



