崩壊する米国の防衛サプライチェーン
米国の防衛産業は、静かに危機を迎えている。ロッキード・マーティン、レイセオン、ノースロップ・グラマン。これらの巨大防衛企業が設計する最先端の兵器システムは、何千もの精密部品で構成されている。問題は、その部品を作れる工場が消えつつあることだ。
米国の精密機械加工業者の数は、過去20年で40%以上減少した。残っている工場の多くは、経営者の平均年齢が60歳を超え、後継者がいない。CNCマシン(コンピュータ制御の工作機械)を操作できる熟練工の不足は深刻で、業界全体で数十万人の人手が足りない状況が続いている。
この問題は、単なる産業衰退の話ではない。国家安全保障に直結する危機だ。F-35戦闘機1機には約30万点の部品が使われている。そのうちの1つでも、品質基準を満たす部品が調達できなければ機体は完成しない。納期の遅延は数年単位で発生し、国防総省の調達コストは膨張し続けている。
ソフトウェアが工場を動かす時代
Huge deep dive on how we're combining America's greatest manufacturing talent with America's greatest software engineers – co-building the future together.
Thanks a ton to @johncoogan and @foundersfund and the entire Hadrian team.
viva la forklift license! https://t.co/09d8tS95kL
— Chris Power (@2112Power) 2024年2月21日
“アメリカ最高の製造現場の人材と、アメリカ最高のソフトウェアエンジニアをどう組み合わせているのか。その深掘りが公開された。一緒に未来を作っている。フォークリフト免許に栄光あれ。”
共同創業者兼CEOクリス・パワー(@2112Power)2024年2月の投稿より(日本語訳)
Hadrianの創業者クリス・パワーが提案したのは、根本的に新しい工場のコンセプトだった。オーストラリア・メルボルン出身のパワーは、モナシュ大学(Monash University)でBachelor of Commerce(会計・商法・税法専攻)を2013年に取得後、まずオーストラリアのEコマース企業Retail SplashでGeneral Managerとして売上を3百万ドルから1千万ドルへと2年で引き上げた。その後、ブルーカラー向けシフト管理SaaSのEntoでHead of Growthを務めるなかで、ある気づきを得る。「50万ドルの年間ソフト契約を1社に売るより、そのソフトで年2,000万ドルの効率化が実現できる会社を自分で動かした方が、はるかに大きなインパクトがある」。外から製品を売るのではなく、自分で産業そのものを作り直すべきだ、という確信だった。
歴史上の帝国が繁栄の末に基幹産業をコスト優先で外部委託し、やがて衰退していくサイクルを繰り返してきたことに着目したパワーは2019年、6,000ドル(約93万円)の手持ちとテキサス州に住む叔父1人のつてを頼りに渡米した。着いてすぐ叔父の住むテキサス州でホテルに2か月こもり、数百社の製造業者にコールドコールをかけて業界課題を調査する中で、航空宇宙・防衛部品の供給網に最も大きなボトルネックがあると突き止めた。現場に入って初めて実感したのは「自動化が進んでいない、というより、ノースロップ・グラマン向けの部品を20年間作り続けてきたボブやジェフのような人物が文字通り唯一の製造者になっている状態だ」ということだった。
パワーがHadrianを創業するまでには、もう一段階の試行錯誤があった。渡米後の2019年9月、彼はまず精密加工工場を買収・集約するプライベートエクイティファンド「ADSC」を立ち上げた。既存工場をテクノロジーで効率化するという戦略だったが、現場に深く入るうちに「外から手を加えるだけでは、抜本的なスピードとコスト改善は不可能だ」と気づき、ファンドを解散。2020年11月にカリフォルニア州ロサンゼルスでHadrian社を創業した。従来の精密機械加工工場は、熟練工の経験と勘に依存している。CNCマシンのプログラミング、工具の選定、加工条件の設定、これらすべてが数十年の経験を持つ職人の頭の中にある暗黙知だ。
Hadrianのアプローチは、ソフトウェアとAIで工場のオペレーションを自律化することだ。CADデータ(3D設計図)を受け取ると、AIが自動的にCNCマシンの加工プログラムを生成し、最適な工具と加工条件を選定し、品質検査の基準を設定する。従来は熟練工が数日かけていた準備作業を、AIが数時間で完了する。
さらに重要なのは、品質管理の自動化だ。防衛部品は、ミクロン単位の精度が要求される。従来は熟練の検査員が三次元測定機を使って手動で検査していた。Hadrianの工場では、AIが加工中にリアルタイムで品質をモニタリングし、異常を検知すると即座に加工を停止する。不良品が出る前に問題を防ぐ、予防的品質管理だ。
Hadrianはこの技術を搭載した自社工場をカリフォルニア州トーランスに建設し、すでに稼働させている。従来の工場と比較して、発注から納品までのリードタイムは大幅に短縮された。
約403億円調達、評価額2,480億円の衝撃
Hadrian is announcing a $260m Series C lead by @foundersfund + @Lux_Capital + @MorganStanley for (Factory Expansion financing). We're also welcoming new investors @altimeter, @1789Capital + investments from existing investors @a16z, @constructcap, @137ventures and many others.… pic.twitter.com/iunmL2v15j
— Chris Power (@2112Power) 2025年7月17日
“Hadrianはシリーズcで2億6,000万ドルの調達を発表する。ファウンダーズ・ファンド、ラックス・キャピタル、モルガン・スタンレーが主導し、工場拡張のための資金となる。新たにアルティメーター、1789キャピタルを迎え、既存のa16z、コンストラクト・キャピタル、137ベンチャーズなども追加出資した。”
共同創業者兼CEOクリス・パワー(@2112Power)2025年7月の投稿より(日本語訳)
Hadrianは2025年7月に2億6,000万ドル(約403億円)のSeries Cラウンドをクローズし、創業以来の累計調達額は5億ドル(約775億円)近くに達した。2026年1月にはT・ロウ・プライスが主導する成長ラウンドで評価額が16億ドル(約2,480億円)を超えた。防衛テックスタートアップとしては、Anduril(評価額140億ドル超)に次ぐ規模感だ。
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2020年11月:創業クリス・パワーがロサンゼルスで創業。防衛産業のサプライチェーン危機に挑む。
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2021年4月:SeedFounders Fund、Lux Capitalから950万ドルの初期資金を調達。ハウソーンに第1工場を建設。
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2022年3月:Series ALux Capital主導で9,000万ドルを調達。a16zも参加。
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2024年2月:Series B1億1,700万ドルを調達。トーランスに移転し第2工場が稼働。初の防衛部品を納品。
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2025年7月:Series CFounders Fund・Lux Capital共同主導で2億6,000万ドルを調達。アリゾナ州メサに27万平方フィート(約2万5,000平方メートル)の第3工場を建設開始。
Founders Fund、a16zが賭けた理由
Hadrianの投資家リストは、シリコンバレーのトップティアが揃っている。ピーター・ティールのFounders Fund、a16z(Andreessen Horowitz)、Lux Capital。これらのファンドが防衛製造のスタートアップに数百億円を投じた理由は何か。
第一に、市場規模の大きさだ。米国の国防総省予算は年間9,000億ドル近くに達するが、そのうち調達に充てられる部分だけでも年間1,700億ドル(約26兆3,500億円)を超える(FY2024実績)。航空宇宙、宇宙産業、エネルギー産業にも精密部品の需要は拡大しており、Hadrianが狙う市場規模は、SaaS企業とは比較にならない。
第二に、参入障壁の高さだ。防衛部品の製造には、ITAR(国際武器取引規制)、NIST SP 800-171(サイバーセキュリティ基準)、AS9100(航空宇宙品質マネジメント)など、複数の認証と規制への準拠が必要だ。これらをクリアするだけで数年かかる。一度この壁を越えれば、新規参入者が追いつくのは容易ではない。
第三に、a16zの「American Dynamism」という投資テーマとの合致だ。a16zは2022年1月にAmerican Dynamismの取り組みを開始し、防衛、製造、インフラなど「アメリカの実体経済」を支えるスタートアップへの投資を本格化させた。Hadrianは、このテーマの象徴的な投資先になっている。
日本のモノづくりとの接点
Hadrianの物語は、日本のモノづくり産業にとって特別な意味を持つ。日本は世界有数の精密加工技術を誇る国だ。しかし、米国と同様の課題に直面している。熟練工の高齢化、後継者不足、工場の減少。日本の中小製造業者の多くは、いまだに職人個人の技術に依存しており、デジタル化は遅れている。
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匠の技のデジタル化日本の製造業が直面する最大の課題は「技術継承」だ。Hadrianのアプローチ、熟練工の暗黙知をAIに移植するという試み、は日本の製造業にとって最も参考になるモデルの一つだ。
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防衛産業の活性化日本も防衛費の増額を進めている。しかし、予算があっても部品を作る工場がなければ意味がない。日本版Hadrianのような存在が、防衛産業のボトルネック解消に必要だ。
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「ハードテック×ソフトウェア」の可能性日本のスタートアップはSaaS中心だが、製造業×AIという領域には大きな機会がある。日本の製造技術の蓄積とAIを組み合わせれば、Hadrianと同等かそれ以上のインパクトを生む可能性もある。
ハードテックの新時代
Friday pod delivered: Hadrian just raised $260M to reindustrialize America, and CEO Chris Power returned to Sourcery to share what’s next.
AI factories, 10x growth, and why the U.S. needs 20 Hadrians.
Tune into @MollySOShea's latest interview 👇 https://t.co/bzB2ttfb0n
— Brex (@brexHQ) 2025年7月18日
“金曜のポッドキャストを配信。Hadrianはアメリカを再工業化するために2億6,000万ドルを調達した。CEOのクリス・パワーが再登場し、次に何をするかを語る。AI工場、10倍成長、そしてなぜ米国には20社のHadrianが必要なのか。”
Brex(@brexHQ)2025年7月の投稿より(日本語訳)
Hadrianの成功は、スタートアップ業界に重要なメッセージを送っている。「ソフトウェアだけがスタートアップではない」ということだ。
2010年代のスタートアップ投資は、SaaS、フィンテック、マーケットプレイスが中心だった。ソフトウェアは限界費用がほぼゼロで、スケーラビリティが高い。対して、製造業は資本集約的で、スケーリングに時間がかかる。投資家はソフトウェアを好み、ハードテックを避ける傾向が長く続いた。
しかし、流れは変わりつつある。Hadrianは「ソフトウェアの利益率で、製造業を営む」という新しいモデルを提示した。工場のオペレーションをAIで自律化することで、従来の製造業とは全く異なるコスト構造を実現しようとしている。熟練工の人件費がコストの大半を占める従来モデルから、ソフトウェアのR&Dコストが中心のモデルへの転換だ。
SpaceX、Anduril、Hadrian。これらの企業が証明しているのは、最先端のソフトウェアとAIを「実世界の問題」に適用することで、従来不可能だったスケーラビリティを製造業にもたらせるという可能性だ。日本のスタートアップエコシステムが次のステージに進むためにも、このハードテックの波を見逃すべきではない。
起業家への示唆
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ソフトウェアを売るより、産業ごと作り直すパワーはEntoでのSaaS販売を通じ、「顧客に50万ドルのソフトを売るより、そのソフトで2,000万ドルの効率化が得られる事業を自分で運営した方がインパクトが大きい」と気づいた。既存企業への外販ではなく、産業構造そのものをゼロから設計することで、はるかに大きな価値を生み出せる場合がある。
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仮説は現場のコールドコールで検証する渡米直後のパワーは、ホテルの一室から2か月かけて数百社にコールドコールをかけ、最大のボトルネックが航空宇宙・防衛の精密加工にあることを突き止めた。市場調査はデスクリサーチではなく、直接の現場会話から始めることで、見落とされていた具体的な問題を発見できる。
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「工場買収」で学んだことを「工場創業」に転用するADSCファンドで既存工場の内部に入ったことが、「外部からの改善では限界がある」という確信につながり、Hadrian設立の直接的な契機になった。うまくいかなかった試みを早期に畳み、そこから得た知見を次の事業設計に活かす判断力が、スタートアップの生死を分ける。
※本文中の円換算は1ドル=155円で計算した参考値です。為替レートにより実際の金額は変動します。



