コードを書くAI、メールを返すAI、顧客対応をするAI。2025年、あらゆる仕事を任されるAIエージェントは当たり前の存在になった。けれど、ひとつの問いが置き去りにされている。「もしもAIが失敗したとき、誰が助けてくれるのか?」その回答として、Waymo、YouTube、AWS出身の精鋭が集まり立ち上げたスタートアップ企業Abundantは、AIがつまずいた瞬間に人間が引き継ぐ「安全網」を作った。AIをさらに賢くさせていく、その仕組みとは。
Waymo、YouTube、AWS出身の精鋭創業チーム
“ロボティクスとエージェントには驚くほど多くの共通点がある。自動運転の最大の教訓は、誰もが「認識が難しく、計画は簡単だ」と考えていたのに、8〜10年かけて逆だと分かったことだ。同じことが今エージェントで起きている。ロボティクスと同じく、勝つのは最高のモデルを持つ企業ではなく、最高のインフラを持つ企業だ。”
創業者ジェシー・フーの講演「Agents are Robots Too(エージェントもロボットだ)」より(AI Engineer、2025年11月公開/日本語訳)
今や日常でAIエージェントを駆使する時代がやってきた。コードを書くAI、メールに返信するAI、カスタマーサポートを行うAI。2025年、あらゆる領域で自律的に動くAIエージェントが登場している。しかし、ある一つの根本的な問いが置き去りにされている。「AIが失敗したとき、誰がどうやってリカバリーするのか?」
この問いに正面から挑むのが、Abundant社だ。
自動運転、世界最大の動画プラットフォーム、世界最大のクラウドインフラ。CEO・ジェシー・フーはデューク大学でコンピュータサイエンスを修め、卒業後はWaymoで自律走行車のプランニングシステムを担った。AIが自律処理できる99%のケースと、人間の介入なしでは乗り越えられない1%のケースが何を意味するかを、走行データを通じて肌で学んだ人物だ。共同創業者のケ・フアンはGoogleに在籍中にDeepMindチームと連携してYouTube上のヘイトスピーチを分類するモデルを開発し、その後金融スタートアップのBrexでコンプライアンスエンジニアリングを率いた。メジ・アビドエはAWSでEC2インスタンスのプロビジョニングインフラを設計したアーキテクトだ。3人全員が「AIと人間の境界線」で仕事をしてきたプロフェッショナルだ。AIが完璧ではないことを誰よりも知っているからこそ、彼らはAIの不完全さをカバーする仕組みを作ろうとしている。
Abundantを立ち上げる直接のきっかけは、3人が自分たちでAIエージェントを構築した経験だった。数百のAIエージェント開発チームと関わる中で、同じパターンを繰り返し目撃した。「デモは簡単。本番は難しい」。統制された環境では完璧に動くAIが、実際の顧客に触れた瞬間に予期しない場面で止まる。この繰り返しを見て、「失敗したときの受け皿」がインフラとして存在しないことが本質的な問題だと確信した。
AIが判断不可能な1%をどうサポートするのか?自動運転が教えてくれたこと
We’ve built the Waymo Driver to operate without the need for human intervention, and in order to do that sometimes, it requires additional context from our fleet response team. See their role in helping us safely scale: https://t.co/pRqn8SCX8D pic.twitter.com/d67sW88JcJ
— Waymo (@Waymo) 2024年5月21日
“Waymoドライバーは、人間の介入を必要とせずに走行できるよう作られている。それを実現するために、ときにはフリートレスポンス(車両支援)チームからの追加情報が必要になる。安全にスケールさせるうえで彼らが果たす役割をご覧いただきたい。”
Waymo公式アカウント(@Waymo)の投稿より(日本語訳)
AbundantのCEO・ジェシー・フーが持つWaymoでの経験は、このスタートアップの根幹をなしている。
Waymoの自動運転車は、AIが99%の走行を自律的に処理できる。しかし残りの1%、工事中の道路、予期しない歩行者の動き、地図にない新しい道でAIは判断に迷う。このとき、遠隔地にいる人間のオペレーターがリアルタイムで介入し、車両に指示を出す。これが「テレオペレーション」と呼ばれる仕組みだ。
対人間比傷害事故率
できる走行の割合
必要なケース
重要なのは、この仕組みがただの「バックアップ」ではなかったことだ。人間のオペレーターが介入したデータは、AIの学習データとしてフィードバックされる。AIが迷った場面で人間がどう判断したかを学習し、次回同じ状況に遭遇したとき、AIは自律的に対処できるようになるのだ。
ジェシーはこの知見を、自動運転以外の領域に展開できると確信した。カスタマーサポートのAI、営業メールを書くAI、データ分析をするAI。あらゆるAIエージェントには「失敗したときの安全網」が必要だ。そしてその安全網は、単なるフォールバックではなく、AIを進化させるフィードバック機構であるべきだ。
Abundantが提供する、AIを助けるAPIとは
Abundantのプロダクトは、技術的にはシンプルな概念だ。AIエージェントが失敗またはスタックしたとき、リアルタイムで人間のオペレーターに引き継ぐAPIを提供する。
- 1AIエージェントの監視顧客企業のAIエージェントの動作をリアルタイムでモニタリング。信頼度スコアが閾値を下回ったら自動検知。
- 2人間オペレーターへの即時引き継ぎAIがスタックした瞬間、コンテキスト情報とともに人間オペレーターに引き継ぎ。待機するオペレーターが数秒以内に対応。
- 3人間の介入内容をAIにフィードバックオペレーターがどう対処したかを構造化データとして記録。このデータがAIの再学習に活用される。
- 4AIの自律性が向上フィードバックを取り込んだAIは、次回同じ状況で自律的に対処。人間の介入率が徐々に低下していく。
これを、Abundantは「Human-in-the-Loop as a Service」と呼んでいる。従来、AIエージェントを導入する企業は、失敗時のリカバリーを自社で構築しなければならなかった。専任のオペレーターを雇い、監視体制を整え、フィードバックの仕組みを設計する。これは本業とは関係のない、しかし不可欠な投資だ。
Abundantはこの複雑さを丸ごと引き受ける。APIを一行追加するだけで、AIエージェントに「安全網」が装備される。オペレーターの確保、トレーニング、シフト管理、品質管理。すべてAbundant側が行う。顧客企業は自社のAIエージェントの改善に集中できる。
同じ過ちを繰り返させない。フィードバックループ
Abundantの本当の価値は、「人間がAIを助ける」ことだけにあるのではない。「助けた結果がAIの学習データになる」というフィードバックループにこそ、真の価値がある。
多くのAIスタートアップが見落としているのは、AIモデルの精度向上には「良質な失敗データ」が不可欠だということだ。AIが正しく動作しているケースからは、改善の余地は見つからない。AIが失敗し、人間がリカバリーしたケースこそが、AIを賢くする最も貴重なデータなのだ。
この仕組みが意味するのは、Abundantを使えば使うほど、AIの介入コストが下がっていくということだ。顧客にとっては最初のうちはコストがかかるが、フィードバックループが回るにつれて、人間の介入頻度は減少し、コストも低下する。
これは、メジ・アビドエの専門領域でもある。AWSのEC2は「99.99%の稼働率」を謳っている。しかしそれは、障害が起きないことを意味するのではない。障害が起きたとき、いかにシームレスに回復するかという仕組みの積み重ねだ。AbundantはAIエージェントの世界に、同じ思想を持ち込もうとしている。
「AIエージェントの安全網」を生み出した
Abundantは2025年のY Combinator Winter 2025(W25)バッチに参加している。AIエージェントが最大のトレンドとなった2025年において、「AIエージェントの安全網」というポジショニングは、VCの間でも高い注目を集めている。
なぜこのタイミングなのか。2024年から2025年にかけて、AIエージェントの導入が急速に進んだ。しかし同時に、AIエージェントの「失敗事例」も表面化し始めた。誤った情報を顧客に伝えてしまうカスタマーサポートAI。意図しない値引きを承認してしまう営業AI。重要なメールを見落とすスケジュール管理AI。
こうしたリスクが顕在化するにつれ、「AIエージェントを導入したい。でも失敗が怖い」という企業が急増している。Abundantは、まさにこの「導入のボトルネック」を解消するソリューションだ。AIエージェントの導入リスクを大幅に下げることで、市場全体のAI導入を加速させる。
日本への導入、妥協を許さない姿勢
Abundantの物語が日本に特に響く理由がある。それは、日本の「品質第一」「ゼロ不良」の文化とhuman-in-the-loopの思想が、驚くほど親和性が高いからだ。
有名なトヨタ生産方式の「アンドン」を思い出してほしい。製造ラインで異常を検知した作業者がアンドンコードを引くと、ライン全体が停止する。問題が解決されるまでラインは再開されない。これは、人間が五感で異常を察知して品質を守り、いたずらに生産スピードを優先しない、という哲学の具現化だ。
日本企業がAIエージェントの導入に慎重なのは、技術への理解不足ではない。「不完全なものを顧客に出したくない」という品質へのこだわりだ。この慎重さは、むしろ強みだ。Abundantのようなhuman-in-the-loopの仕組みがあれば、日本企業の品質基準を満たしながらAIエージェントを導入できる。
- 1カスタマーサポートの段階的AI化日本の手厚い顧客対応文化を維持しながら、AIで効率化。AIが対応に迷ったら日本語ネイティブのオペレーターに即座に引き継ぎ。
- 2製造業の検査工程画像認識AIによる品質検査で、AIの判定に疑義がある場合は人間の検査員がダブルチェック。ゼロ不良の文化とAIの効率を両立。
- 3金融サービスのコンプライアンスAIが処理する金融取引のうち、コンプライアンスリスクが高いものだけ人間が審査。規制対応とスピードの両立。
日本にもAbundantの日本版を作るチャンスがある。品質にこだわるからこそ、AIの失敗を許容できるフレームワークが必要であり、それを体系化できるのは、徹底的な品質管理の歴史を持つ日本だからこそかもしれない。
AIが完璧になる日は、おそらく来ない。少なくとも、あらゆるエッジケースに対応できる汎用AIは、まだ遠い未来の話だ。だからこそ、「AIが失敗したとき、誰がどうやってカバーするか」という問いは、AIの時代における最も重要なインフラの一つなのだ。
起業家への示唆
- 1「デモが動く」と「本番で使える」の間を埋めよAbundantが数百チームの観察から気づいたように、AIプロダクトの本当の価値は制御された環境のデモではなく、想定外の状況に本番で耐えられるかで決まる。その隙間を埋める仕組み自体がビジネスになる。
- 2失敗データを資産と捉える設計を最初から組み込むHuman-in-the-loopをコストではなくデータ収集機構として設計したことが、AbundantをAIの改善サイクルの中核に置いた。介入のたびにモデルが賢くなる仕組みを初期から考えておくと、運用コストが競争力に変わる。
- 3業界の「当たり前」を別の文脈に持ち込む自動運転の「テレオペレーション」という手法をAIエージェント全般に転用したように、ある領域で成熟した問題解決のフレームワークは、隣の産業では未解決の問題を解く鍵になる。自分のキャリアの専門知識を再利用できる市場を探すことが、創業初期の最も大きな非対称の強みになる。
※本文中の円換算は1ドル=155円で計算した参考値です。為替レートにより実際の金額は変動します。



